東光山 大日寺

菊姫物語の伝説が伝わる大日寺。

  東光山大日寺は慶長十三年(1608)四国土佐の長曾我部元親公の血を引く秀乗律師が、佐伯藩初代藩主毛利高政公の願を受け、藩内の武運長久、五穀豊穣、万民豊楽を祈願する寺院として開創されました。

 

 天保三年(1832)には中興の祖第十三世 孤貫僧正の遺徳に依り、下馬札、五本筋の灰筋塀、御紋付幕、翠簾三間が下賜せられ、これより門前に下馬札を立て、塀に五本の筋を入れ、本堂内陣に紫縮緬の御紋付幕(旧三月二十一日の正御影供に使用)を張ることを許されました。本堂、山門などの丸瓦も菊の御紋を戴いています。

 

 またその御勝縁で連合艦隊司令長官山本五十六大将の参拝記録が残されています。 境内には護摩堂、大師堂、稲荷堂、弁天堂、観音堂などがあり、高さ約7メートルの厄除大師像が檀信徒・参拝者を見守っています。

 


菊姫を救った弁財天の物語

大日寺弁天堂に祀られる八譬弁財天坐像

 菊姫物語の主人公は菊姫ですが、忘れてはならないのが菊姫の病を治した弁財天様です。

 

 七福神の1人として名前の知れた弁財天。そのご利益は金運・財運開運・技芸上達(芸能・音楽等の芸事のご利益)・縁結び・恋愛成就・学業成就(弁才)・立身出世・勝運・武運長久・国家鎮護など幅広いご利益があると言われます。 弁財天は、そもそもインドはヒンドゥー教のサラスヴァティという水の神様で、現在でも弁財天を祀る神社仏閣は水に関係したところが殆どかと思います。

 

 そして大日寺の弁財天様にも、水に関する物語があります。

 

 宝永4年10月4日(1707年10月28日)佐伯藩を大きな地震と津波が襲いました。 紀伊半島沖を震源とし、伊豆半島から九州にいたる広範囲に津波被害をもたらした南海トラフ大地震「宝永地震」です。

 

 佐伯藩の城下には1.5m、所によっては2.7m~3mの津波が押し寄せ、486戸が倒壊、22名が犠牲となったと言われています。 時の藩主 ・毛利高慶公はこの被害に心を痛め、宝永5年2月、民の守護を祈って大日寺にこの弁財天様を祀ったと言われています。

 

 以来300年大日寺では年に1度、この弁財天に佐伯の安寧と地震津波などの災害で亡くなった方々の鎮魂を願う法要を行い、南海トラフ巨大地震の教訓を語り継いできたのです。